津田恒美の最後のストライクのドラマ
カープ25年ぶりの優勝から3連覇を成し遂げ、黄金時代再来といってもよい状況となりました。
ここ最近カープファンも増えてきましたが、3連覇前の優勝(25年間の空白)の原動力となった津田恒美を知っているでしょうか?
最近カープファンになったので津田恒美について知らないのでどんなピッチャーなのか知りたい
というあなたの疑問にお答えします。
テレビで津田恒美の息子が紹介されて知った最近のファンも多いことでしょう。津田恒美記念館を作るために資金集めを行っているとテレビで放送されていましたね。
昔からのファンなら津田恒美を知らない人はいないでしょう(ズームスタのプレートにも名前は刻み込まれています)
25年前の優勝の年に津田は病気に倒れました。それまで炎のストッパーとしてカープの守護神だった津田に優勝を見せたいということでカープナインがひとつになった年でした。
その時は病気と言っても別の病名で新聞では伝えられていましたね。
そんな津田恒美投手はどんな投手だったのでしょうか?
元カープ津田恒美のプロフィール
出身は山口県都濃郡南陽町(現:周南市)
生年月日は1960年8月1日で1993年7月20日に32歳という若さで他界しました。
右投右打の投手で1981年 ドラフト1位でした。
初出場は1982年4月10日で最終出場は1991年4月14日
津田恒美のドラマは最後のストライク
津田恒美が他界したあと、ドラマになりました。それが最後のストライクです
20年位前だと思います。なにしろビデオの時代です。昔ビデオをとっていたのですが、すでに見つけることができませんでした。
再生する機械もないです。
最後のストライクでは、昔からのカープファンだけでなく、25年以内にカープファンになった人にもぜひ見てほしい。
最後のストライクの主題歌は、松山千春の「君に」
この歌を聞くと、当時のシーンを思い出します。
原作はこちらです。
ドラマのほうが感情移入しやすいので再放送が見たいな。
これは広島地域で25年ぶりの優勝時に放送されたみたいです。その他地域でもぜひ再放送してほしいものです。
津田恒美の直球勝負は心にしみてきます。
津田恒美の座右の銘「弱気は最大の敵」
この言葉を胸に果敢に挑戦しようと思った昔の自分でした。やはりストレート勝負は気持ちが乗って
きます。
背番号14はやはり意味のある番号です
その陰で背番号14の偉大さに苦しむのは津田恒美の息子でした
津田恒美の息子大毅が背番号14に苦しめられた?
炎のストッパーと呼ばれた元カープの津田恒実が脳腫瘍に倒れ、32歳で他界してから24年
息子の大毅は、父の生きざまを伝えるための記念館設立を目指し、今年6月から自転車で日本各地を回り資金協力を呼び掛けてきた。
距離を置いた理由。それは伝説になった父の影が、息子にとっては迷惑なものでしかなかったからだ。
大毅が苦しめられたのは、「小3から大学まで野球をやってきたんですが、何かと“津田の息子”と言われ、比べられるのが嫌でした。」
こう語っています。
津田の息子ということを隠して生活してきました。
津田恒美が偉大すぎたためにそのギャップや比較されることで当時は嫌な気持ちを持って生きていたようです。
その感情も年齢を重ねることで変わったようです。
津田恒美最後のストライクまとめ
カープ優勝が決定した後に広島地域では最後のストライクが放送されたみたいですね。
私の地域では見ることができませんでした。しかし、今でもドラマのイメージは思い出せますね。
カープの背番号14は特別な番号ですね。今は大瀬良が背負っている背番号14
大瀬良は先発としてガンバってほしいです。
津田恒美の後を追うのは中崎ですか?
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