二月の勝者の感想!勉強は褒められない

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二月の勝者の感想!勉強は褒められない

二月の勝者は中学受験を舞台にした毎週土曜日に放送されてるドラマになります。

初回から見ていますが、3話では、「花恋」が主人公として扱われる話になります。ドラマの感想ということでタイトルにネタバレ部分がありますが、その点はご了承ください。

勉強は褒められない」と黒木が花恋にいう場面があります。

これは自分自身を振り返っても不思議だな、と思っていたことです。ドラマでもはっきりとそのことについて触れていたのでタブーに近いような雰囲気があるテーマですが、あえて感想を書いていきます。

二月の勝者でも語られていた「運動は褒められるけど、勉強は褒められない」について不思議だな、と思いながらも口に出すことなく過ごしてきたあなたのために伝えたい

という私の感想について書いていきます。

なんで運動は褒められるのに勉強は褒められないの?

二月の勝者では、公立の小学校の回想シーンがありました。

桜花では、勉強ができる「花恋」が小学校で率先して先生の質問に回答するシーンが放送されていました。塾に行ってるんだから答えられて当然じゃん、という周りの生徒から醸し出す雰囲気がなんとも辛い感じがでていました。

小学校や中学校でもそうですが、義務教育では、運動に関しては順位付けし、全生徒に公表していたけど勉強に関しては公表はしないし、公にしてはいけない雰囲気がありました。

現在はなければすいません。

運動と勉強という分野の違いであるにも関わらず、何か触れてはいけないものという扱いの違いに違和感を感じていました。

疑問なのは、「運動では平気で順位を付けるくせに、勉強では順位付けを決してしないこと」です。

運動が得意な子は自分自身が輝ける場所があるのに、勉強ができる子が輝く場がないのはおかしい

運動が得意であれば、みんなに成果を認めてもらえ、自尊心が高まります。その成果をきっかけにさらに頑張る、ということがあるのではないかと思います。

一方、勉強は、褒められたとしても親くらいでしょうか?

勉強ができたとしても運動と同じような自尊心を高められるようなものは得られません。むしろ、ドラマであったような罰を与えられてしまうような雰囲気になってしまうケースもあることでしょう。

勉強はがんばると「ガリ勉」と思われて、運動はすごいという眼差し。

成績は公開すると下のほうがかわいそうということでしょうか?

でも、運動は下のほうがさらされるのはいいのでしょうか?

勉強と運動は分野が違うだけではないのでしょうか?運動に頑張る子もいれば、勉強をがんばる子もいる。これは自分の得意不得意に応じたことなのに扱いが違う。

学校は勉強も含めて生徒を学ばせる場なのに、どうして運動と勉強は扱いが違うんでしょうかね。親からのクレームになることは容易に想像できますが、そうすると運動も同じようにクレームが入ってもおかしくないと思います。

ただ、クレームに応じて運動も順位付けなどを行わないと閉塞的なものになりますよね。

運動と勉強の違いがどうしてもでてくるのは、平等な感じがしないですね。。

子供にはそれぞれ活躍する場が異なります。分野が違えど、それを認めてあげられるような学校になればよいな、と感じさせられたのでタブー的な感じもしますが、あえて書きました。

不快な気持ちになるかたは申し訳ないです。

どちらかというと勉強でがんばっているのに褒められることってないよね、不思議だな、と思っている人が共感してくれればそれでいいという趣旨で書いています。

二月の勝者感想!勉強はほめられないまとめ

二月の勝者で黒木が話した「勉強は褒められない」の言葉が気になったので不快な人もいるだろうな、と思いながら書きました。

勉強も運動と同じようにタブー視するのではなく、子供が輝ける場の一つとして扱う環境になればいいなと昔から思っていました。

「花恋」のようにがんばっても褒められない。

運動会など運動に関するものは、順位付けするように勉強の大会がテストにあたると思います。

運動で輝ける子供だけでなく、勉強でも輝ける環境ができたらよいなと思います!

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